
問い · 縁起 · 東京
東京に暮らして十年目、私はひとつの問いを真剣に考えはじめた。
私のしていること——風水を観る、命盤を読む、写真を撮る——いったい、何をしているのだろう、と。
表面的には、三つの異なる営みである。ひとつは空間について、ひとつは時間について、ひとつは光について。しかし、見知らぬ空間に立って気の流れを感じるとき。命盤をひらいて、ひとりの人生の構造が見えてくるとき。あるいはカメラを構えて、ある瞬間を待つとき——私は不思議な感覚に包まれる。まるで、同じひとつのことをしているような。
私は、目に見えないものを探している。
幼いころから、父について玄学を学んだ。当時は意味もわからず、あの記号や口訣は、もうひとつの言語のように思えた。のちに少しずつ理解した——これは単なる予測の体系ではなく、古人が天地を観、人を観るためのひとつの方法なのだと。きわめて精密で、きわめて誠実な方法なのだと。
日本に来てから、侘び寂びの美学に出会い、禅に出会い、写真に出会った。そして気づいた——「見えないもの」への東洋の感受性は、途切れたことなど一度もなかったのだ。風水師が観る気、禅者が感じる空、写真家が捉える光——語られているのは、同じひとつのものである。
このサイトは、そうした思索を置いておく場所である。
風水の文章、命理の解析、写真の作品。そして分類しがたい文字もあるだろう——異郷に生きる感覚について、現代世界における東洋哲学の居場所について、言葉の外でしか伝わらないことについて。
あなたもこうしたことに関心があるなら、どうぞ留まっていってほしい。
ご相談が必要な方は、お問い合わせページから連絡していただきたい。
——甄鵬 二〇二六年 東京にて記す